※この小説は一部ノンフィクションです。一部ね。
※この小説は基本的に実話:妄想=1:9くらいで構成されます。
※この小説は今後不定期に掲載しようと思います。
耳を澄ませば、しとしとと雨の降る音が聞こえてくる。少し湿気が多いが、暑くもなく寒くもなく、丁度良い。
そのような空間で眠い目をこすりながら作業をする女性がひとり。赤茶けた髪は寝癖で撥ね、汚い机の上と同然である。
「あぁ、面倒臭い」
知里弥生は今日何度目か分からない台詞を吐いた。吐き続ければいつかは無くなると踏んでいたのだが、やはり予想は外れたようである。
机の上にあるコンピューターでは、仮想マシン上のグラフ描画ソフトが動いていた。仮想マシン上で動かすと、どうしても動作が重い。いつまでも旧バージョンのソフトを使い続けている為にこのような状態に陥っているのだが、予算が無いのでどうしようもない。ため息を吐き、グラフの製作を続ける。
およそ二十個程のデータを処理したところで、好い加減嫌気が差してきた。今扱っているのは殆どゴミ同然の測定データだというのも、面白くなくて腹すら立ってくる。
と、タイミング良く扉が叩かれた。時計を見ると、今は正午を少し回った辺り。それならば誰が来たかはある程度推測ができた。
「良いよ、入って」
「へへ、お邪魔しますよ」
若い女性の声だ。扉が開くと、そこには何か異質な存在が姿を現した。若草色の和服姿である。そして輪を掛けて目立つ医療用眼帯。手入れが為されずに四方八方に撥ねている腰まで届きそうな長髪も、相乗効果で余計に主張を強くしている。
総じて奇怪なその女性を、弥生は良く知っていた。
「相変わらずだね、流娜」
「どうも。そっちも相変わらずそうですね、弥生さん」
来訪した女性は霧崎流娜(きりさきるな)という。いついかなる時にも和服を着て、現代社会から明らかに一歩はみ出ている存在だ。事故での失明があるらしく眼帯は仕方のない物として、和服はどうにかなるのではないか、と毎回弥生は思う。
流娜は空いていた椅子に勝手に座ると、弥生のコンピューターのディスプレイをじっと眺めた。
「これは……分からん」
「でしょうね」
「弥生さん、食堂行きません?」
「良いよ」
作業も飽き飽きしていたところである。気分転換には丁度良い。岩のように凝り固まった身体を少し捻り、のろのろとした動作で立ち上がる。
「何か、新種の動物みたいな動きしてますよ」
「その比喩、まるで意味が分からないから」
「強いて言うなら、ナマケモノ?」
「新種でも何でもないじゃない」
食堂はいつものようにそこそこ混んでいた。並ぶのが嫌いな弥生はしかめ面をし、丼物のレーンに足を運ぶ。流娜もその後に続く。
「何食べます?」
「竜田丼」
「またですか。良く飽きないですねぇ」
空いている席に腰を落ち着ける。端の席で、隣には知らない男性が座っている。向かいの席には流娜が、とても幸せそうな目をして自分のカツ丼を眺めている。
「いただきますっ!」
と、勢いよく割り箸を割るものだから、案の定不格好な様相になってしまっていた。もっとも、
「弥生さん、下手ですよね」
「うるさい」
丁寧に、静かに割ったつもりでも、流娜以上の惨状になっている者も居るのだが。
その後はいつも通りだ。流娜が喋りながら食事をし、弥生は度々注意する。話の内容も殆ど俗世的で、ありふれた内容だ。半分以上聞き流しながら、弥生は黙々と竜田揚げを頬張る。まともに相手をしていると切りがない。
「最近うちの大学に幽霊が出るらしいんですよ」
――この台詞を聞くまでは、全て聞き流そうと思っていたのだが。
流娜の話をまとめるとこうだ。
どうやら我らが大学の理学部棟に、女性の幽霊が現れるらしい。目撃証言も多数あり、その証言に共通している項目は「和服を着ている」、「長髪である」ということだ。顔は、髪が邪魔で見えなかったらしい。
弥生はまず真っ先に流娜を想起した。当然である。目の前の女性はその証言の項目を全てクリアしているからだ。だが話には続きがあった。
目撃者は総じて、霊が消える瞬間を見ているというのだ。目撃場所はまちまちだが、どうやら咄嗟に隠れられるような物がある所ではないらしい。となると、人知の及ばない超常現象でも起こっているのだろうか。
故にそれは幽霊なんですよ、と流娜はまとめた。
ひとり研究室に戻った弥生は、天井を見上げて口を開けている。半分以上放心しているかのように。
前々から疑問はあった。毎日のように来訪しては、他愛のない会話をぶつけてくる異様たる女性、流娜。
彼女は今、学部の二年生だという。このK大学では一、二年の間は別のキャンパスで基礎科目を受けることになっている。その別キャンパスは、今居る場所から電車で一時間は掛かる。
「流娜のやつ、どうやってここまで来てる?」
昼休みの前後に講義が無い? 流石に毎日そのスケジュールに調整するのは無理がある。
講義をサボっているのか? いや、彼女は根が真面目だ。その様子は無いし、授業の話題なども良く出てくる。自分の研究室の先生が担当している講義のレポートで名前を見たこともある。その講義は、昼休みのすぐ後だ。
では、彼女は一体何だ。
不意に覆い被さってきた悪寒に、身震い。
まだ怪談には早い、六月の出来事。梅雨で少々冷えたのかもしれなかった。
続く。
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