小説:梱包

知里弥生の無気力日和

※この小説は一部ノンフィクションです。一部ね。
※この小説は実話:妄想=3:7くらいで構成されます。

 延々と同じ体勢で、身体が凝り固まってしまっているようだ。しゃがみ込むような状態で物品を緩衝材で包み、養生テープで留めて内容を書き記す。ただこれだけの作業をかれこれ四時間。好い加減に疲れてきている。
時計を見ると、既に十二時を回ろうとしていた。朝早く来て休憩も無しに作業をしていたのだが、まだ全体の三分の一も終わっていない。
現状を確認し少し泣きそうな顔になったのは、弱小研究室に所属する女性、知里弥生である。研究室の移転に向けて梱包作業をやっている彼女は、果て無き作業を目前に少しだけ茫然としてしまった。
「……終わるのかね、これ」
小さく溜息をついて、閉じてあった入口の扉にもたれかかる。ぎしり、と古い扉が軋む音がした。この古い建物ではやはり移転は逃れられないと思いもしたが、それでも遠方まで移動しなければならないという事態に納得したくはない。面倒だから。
そろそろ昼食時だなと再度時計を確認した時、何やら背後からどたどたという慌ただしい音が聞こえてきた。嫌な予感が弥生の思考を駆ける。が、時すでに遅し。
背後の扉が勢いよく開け放たれた。弥生は唐突に襲い掛かった後方からの一撃に対応できず、漫画のような有り得ない速度で投げ出された。幸いにも、落下地点に緩衝材のロールがあったため大事には至らなかったが。
緩慢な挙動で首を回して解放された扉の外を睨め付けると、そこには異様な存在感を放つ存在が仁王立ちしていた。
「弥生さん、遊びに来たぜっ!」
「……このド阿呆、流娜」
いつものように若草色の和服を着て、腰まで届く長髪を静電気で爆発したかのように撥ねさせ、医療用の眼帯がそれらのインパクトを更に助長している奇特な女性、霧崎流娜であった。
流娜は弥生の恨めしげな顔を余所にけらけら笑い、それから実験室が普段と様相を異にするのに気づいた。
「およ、何してたのこれ?」
「梱包。面倒」
最早流娜の行った攻撃に怒る気力も無い弥生。が、少し間を置いて急に立ち上がった。表情には若干ながら、黒い陰りが見え隠れしている。
その様子に、流娜は思わず後ずさる。決まって弥生がこういう表情する時というのは、流娜にとって不利益のある提案を思いついた時だと知っていたからだ。
逃げの姿勢を取った流娜に、弥生は気怠さの残る響かない声で呼び止める。
「流娜」
「わ、私忙しいんでっ」
「幸福堂の金つば」
ビクッ、と流娜の動きが一瞬止まった。したり顔の弥生は、目を泳がせて冷汗を垂らしている流娜の手を取り、ぐっと引き寄せる。
「……どう?」
「い、いやですね、私もそんな軽い女じゃないというか、そのですね」
明らかに動揺している流娜に、小さく溜息を吐いてから続ける。
「二個」
「……いや、その」
「三個」
「か、数とかそういう問題では無くて、うぅ」
「……半ダース」
「働かせてくださいお願いします」
アクロバティックな動きで弥生の手を振り払って土下座の体勢へとトランスフォームした流娜に、弥生は一言。
「よろしい」

昼食後、二人は実験室を眺めていた。広い空間に雑然と並べられた実験機材。これを一つ一つ緩衝材で包んでいかなければならない。弥生は一通り部屋を見渡すと、壁際に並んでいる棚を指さした。
「流娜にはあそこの棚をやってもらう。メインはコンポーネントの梱包」
「こんぽーねんとのこんぽー……ぷくくっ」
「うるさい」
流娜の頭に、手刀が落ちた。

「弥生さーん、これ何ー?」
「クライストロン。センチ波の分光用。外箱の周波数とナンバー控えておいて。真空管入ってるから落とさないように」
「はーい。弥生さんは何やってんの?」
「倍周器の梱包。静電気でぶっ壊れるから流娜は触っちゃだめ」
「うへぇ、ちなみにお幾ら?」
「大体百五十万」
「ひゃ……!?」
「ちなみに作れる職人がもういないから、壊れたら替えが無い。絶対触らないでね」
「は、はーい……」

およそ五時間は経っただろうか。細々とした機材は全て梱包され、段ボール箱の中に納まった。箱モノの器械もそれぞれ緩衝材で覆われ、運び出す寸前の形になっている。ロータリーポンプも油で汚れていた部分は石油ベンジンで綺麗に拭き取ってあり、残るはエキシマ―レーザーと大型の真空ポンプ類位だろうか。
「うん、だいぶ片付いた」
「疲れましたよぅ、大体和服の人間にこういう油が付きそうな作業させないでよねー」
「だから白衣は貸したじゃない」
服の汚れを気にするような発言だが、思い切り床に座り込んで伸びをしている様子を見るに、少なくとも大切に扱われている風ではないだろう。
ともあれ、これで大方の作業が終わったのは間違いない。これも流娜が暇人だったお陰である。決して努力とか頑張りとか、そういうポジティブな考え方をしないのは弥生の習性だ。
そんなことをぼんやりと思いながら、ふと気づく。
「そういや流娜、あんた講義は?」
「……げっ。今日三限四限あったんだ。……ま、まぁほら、金つばには代えれないというか、うん……うん」
流娜は少々目を潤ませて膝を抱えた。普段が割と真面目だからだろうか、かなり落ち込んでいる様子だ。
「講義なんて一回ぐらい休んでもどうってこと無いよ。というか、基礎科目だよね? 昼休みにこっちのキャンパス来て、どうやって向こうのに参加しようと思ってたの?」
以前にも話題に出したが、今彼女らの居るキャンパスと流娜が講義を受けているキャンパスはかなり離れている。車で行っても一時間は掛かるだろう。
流娜はどこか遠くを眺めるような目をして、まるで燃え尽きる瞬間のボクサーのような様子でぼそりと、
「弥生さん。この世には不思議なことがたくさんあるんですよ……」
「まさかここで京極堂の名台詞吐かれるとは思わなかった」
二人はお互いに、溜息混じりで肩を落とした。

なお、流娜が余りにも哀れだったために金つばが一ダースになったのは余談である。

※京極堂   講談社から出ている京極夏彦著の小説シリーズの登場人物、中禅寺秋彦の通称

続く。

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