小説:ニドヘグ

知里弥生の無気力日和

※この小説はフィクションです。

霧崎神社という、由緒正しき神社がある。

 K大学の付近にある神社だ。代々霧崎家が管理するその土地に、ぽつんと建てられた小さな神社である。
 きちんとした神社であるので、勿論施設は一通り存在する。膨大な広さを誇る鎮守の杜は竹林で、『迷いの竹林』等と呼ばれ様々な噂が飛び交っている。
 本殿の裏には御神木がある。注連を巻かれた巨大な杉の木だ。何故竹林が広がる中に一本だけ杉なのか、それは神社の管理者である霧崎家にも分からないらしい。
 霧崎家は現在四人の人間で構成される家族集団だ。祖父の霧崎啓志が神主を務める。祖母はK大学で文学部歴史学科の教授を務めた後、現在は退官。後の二人は大学生の姉妹だ。
 その姉妹の片割れ、霧崎沙娜は御神木の根に腰掛けてほぅと息を吐いた。
「……暇ね」
 夏である。日差しは強いが、風が吹き心地は悪くない。湿気は少なく、からりとしている。竹林の鳴るカラコロとした音もそれに付随し、やけに雅だ。
 沙娜は自分の格好を見直した。紛うこと無き巫女装束である。白い小袖に緋袴で、最近サブカルチャーで流行っている腋の出ているようなコスプレではない。
 何故この格好をしているのかと言えば、それは勿論巫女として働いているからである。特に八月は大学院の講義も行われていないので、沙娜がこの仕事を任されている。
 やる事は至って明快だ。境内と本殿の掃除である。規模の大きい神社ならば、授与品の準備やら地域からの電話対応やらあるのかもしれないが、少なくともこの神社にそういったものは無い。大きな行事も年に二回、祭事を行う程度だ。
「この仕事、要る? というか、巫女服要るの?」
 毎日のように湧き上がる疑問を吐露し、沙娜は竹箒を投げ捨てた。
 神社には一人の巫女以外には誰も見えない。神主は社務所で待機している。参拝客はおらず、ひっそりと静かだ。
 沙娜は御神木の周りをぐるりと回った。樹齢三百年はあろうかという巨大な樹木だ。太い根が絡まるように這っており、地震が来ても倒れ無さそうな安定感がある。
 ふと、根の間に隙間があるのに沙娜は気付いた。
「……今日はあるのね。暇してた頃合いに丁度良いわ」
 隙間は直径七十センチメートル程の円形だ。人が一人入れそうな具合である。奥の方は暗闇で見えず、深淵。少なくともかなり深い所まで繋がっているようである。
 沙娜は躊躇わず、穴に入り込んだ。
 一瞬、ぐるりと暗転したような感覚に陥る。反射的に目を閉じる。
 地に足が着いた感覚があった。加えて、濃密な臭い。何と表現したら良いのか分からないが、水のような土のような、あからさまな自然の臭いが。
 目を開けると、そこには狭い空間があった。
 狭いと言っても、四方二メートル程はある。壁面は木の根で覆われ、足元は硬い岩盤。そして不思議な事にぼんやりと灯りが点っている。
「久し振り、一ヶ月程かしら?」
「そうだったかねぇ。時間に疎くてね」
 沙娜は顔についた土を払い、さも面白そうに表情を綻ばせた。それは、あらん限りの好奇心を爆発させたかのような無邪気さで。目の前の存在に会えて、心底嬉しそうな様子で。
「ま、いらっしゃい。沙娜」
「えぇ、お邪魔します。零」
 無彩色の巫女装束を着た、白髪で紅い眼をした女性が、そこには明瞭に存在していた。
 色の無い巫女は、薬包紙に包んだ粉を沙娜に手渡す。
「ほれ、餞別じゃ」
「要らないって毎回言ってるでしょ。どうすんのよこの粉」
「煎じて飲むが良いぞ。頭が冴える」
「ヤバい薬よね、それ」
 呵々と女性は笑った。釣られて沙娜も微笑む。
「腕の調子はどうじゃ?」
「別に。もう十年以上よ、慣れてるわ」
「接続部分にな、溶かしたのを塗ると加減が良くなるぞ」
「お断りよ、そんな怪しいの」
 つれないのぅ、と女性は年寄臭く言った。見た目が若い分、違和感が凄まじい。
 いや、そもそもこんな地中に女性が居ること自体、違和感の塊なのだが。
 女性は木の根の隙間から湯呑を取り出す。そこに謎の粉を入れ、お湯を注いだ。お湯がどこから出てきたのかは謎であった。
「ほれ、飲みなさい」
「その粉入れるの止めなさいって何度言ったら分かるのかしらね?」
 女性は少し不服そうな顔をして、湯呑の中を覗き込んだ。茶色い色をした液体がぐるぐると回っている。一見するとただの泥水である。
「害は無いんじゃ、問題なかろうて」
「そういう問題じゃ無いって言ってるでしょ、毎回」
「あ奴等はいつも飲んでくれるんじゃがなぁ」
 アレはアホだからよ、と沙娜は呆れ半分に言った。
「じゃが、お前さんは好きなんじゃろ?」
「……まぁ、ね」
「なら、ほれ」
「それとこれとは話が別でしょう」
 やっぱりつれないのぅ、と女性は残念そうに呟いた。
 ――これは霧崎沙娜と三好零(みよしれい)の、ごく一般的な会話である。

続く。

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