※この小説は一部ノンフィクションです。一部ね。今回はほぼノンフィクションですが。
※この小説は基本的に実話:妄想=7:3くらいで構成されます。
※この小説は今後不定期に掲載しようと思います。
今日は、機嫌が良い。稼働しているロータリーポンプを眺め、少し笑う。それから、オイルで汚れた手を石油ベンジンで拭き取った。
「良い感じですね」
私は言う。それに、ピラニ真空計のメーターを確認していた先生が答える。
「えぇ、そうですね。このまま動かして、二時間後に真空度をまた確かめましょう」
それから、私たちは上機嫌で実験室を後にした。
私は知里弥生(ちりやよい)という。K大学理学部化学科の4年で、所属している研究室は量子化学である。量子化学の研究室はK大学には二つあり、量子Ⅰは大規模、量子Ⅱは弱小だ。私の所属しているのは、弱小な方である。人員は私と、先生のみ。人員不足が甚だしい。
どの位弱小かと言えば、例を挙げると枚挙にいとまがない。リークしたボールバルブを修理したり、使用済みの液体窒素を濾過して回収したり、穴の空いた金属部品を何度も溶接して直そうとしたり、だ。
今日行っていた作業も、壊れたロータリーポンプの修理である。うちの研究室にある大きなロータリーポンプが二台壊れたのが、その内一つは内部機構、もう一つはモーターが壊れていた。そこでうちの先生が、
「壊れている箇所がそれぞれ違うなら、バラバラにして無事な部分を組めば直りそうですね」
などと言うものなので、二人で修理をしていた。案外簡単に直り、それを現在稼働させてテストしているのだ。
二時間が経った。
「真空、見てきます」
そう言って、私は実験室へと向かった。
途中、大規模な方の量子化学研究室の前を通る。その実験室から、凄まじい振動音が聞こえてくる。
あちらで扱っているロータリーポンプはULVAC社のものだ。軽いのだが、それ故に振動が激しく音が酷い。それに比べて、私が今回直したポンプはアルカテル製で、非常に重いが音は小さい。音が大きいとやはりストレスが溜まるのか、私は何度か量子Ⅰの友人から不満を聞いていた。
そんなことを思いながら、自分の実験室の前に着く。こちらは、音は漏れていない。やはり優秀だ、等と思いながら扉を開けた。
――そこには、静寂があった。
「……え?」
いくらうちのポンプが静かだとはいえ、全くの無音というのはおかしい。それに、いやに焦げ臭い。
大慌てでポンプを確認すると、やはり止まっていた。三相交流のヒューズは案の定吹き飛んでいる。電源を急いで切り、先生へと連絡を入れる。
「先生、ポンプが止まってヒューズが切れてます」
程なく先生が来て、状況を確認。
「ポンプのモーター、もの凄く過熱してますよこれ」
「ブースターも同様ですか。途中でどこかリークして負荷がかかりましたかね?」
調べるが、リーク箇所は無さそうである。では何がおかしいのか。取り敢えずヒューズを付け替えて再起動しようとするが、失敗。ロータリーがやられたかと思い、別のものに付け替えてみるも、何やら不可思議な挙動をする。
「これ、電源がおかしいですね」
そういった状況を見て、三相交流の電圧を調べた先生はそう言った。
「本来ならば全て200Vないといけないんですが、100Vになってるとこがありますね。これ大元の部分がショートしてるとかだったら、他の研究室もやばいかもしれないですよ」
急いで配電盤の電圧を調べると、大元からうちの研究室に向かう部分のヒューズが切れていることが判明した。つまり、三相の内一つが切れたため、電圧が落ちたらしい。これならば、他の部屋への影響は無いだろう。
保全室に連絡し、ヒューズを替えてもらった。これで大丈夫な筈だ。
その後調べた結果、ロータリーポンプとブースターポンプのモーターは完全に焼けてしまっていたようだ。稼働途中に何らかの原因で配電盤のヒューズが飛び、過負荷がかかってしまっていたようである。
「最初の三十分が上手く動いてたから、大丈夫だと思ったのに……」
「ロータリーポンプが途中で止まるなんてほぼあり得ませんからね、私も大丈夫だと思ってました」
結局、直したロータリーポンプは壊れてしまった。更にはブースターポンプまでお釈迦になった。一度上機嫌になってからの惨状は、最悪の気分にさせてくれた。
「明日、ブースター付け替えましょう」
「……はい」
明日は土曜日だ。折角の休日が潰れてしまった。
「実験にトラブルはつきものです。それを乗り越えないと研究は進められませんよ」
「それ、マイクロ波分光の時に嫌と言うほど味わいましたよ……」
こうして、不運な一日は幕を閉じた。
続く、かもしれない。
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